看護研究指導 ポスター作製も楽じゃない
看護研究をするにあたって、一番問題となるのは、日本語の能力とパソコンの技能ではないかと思う今日この頃・・・
両方得意だと研究が成功するか、と言ったらそんなことはないのですが、両方不得意だと、指導する側とすると、ものすごく面倒です
看護師さんは、わりとPC、不得意という人が多いのではないでしょうか
最近の若者は、スマホのスペックが私達の若い頃のPC並みにあるので、PCをあまり触らない、とも言われています
でも、研究グループに若者がいる場合は、けっこうサクサクと表を作成し、ポスターも作成します
わからなくても、わからない所を要領よく聞いてくるので、一度説明すると修正することが出来ます
昨年度担当したグループの中に、全員PCが全くダメ、というグループがありました
電子カルテだって、人差し指1本で入力します、ってほどです
ちょうどその部署で、研究を最近やってない人を集めたら、30歳代1人、50歳代が2人、という3人グループになってしまったのです
30歳代の看護師さんが主研究者となり、研究は進んでいたのですが、大人しい人なので、完全に50歳代の看護師さんの勢いに負けてしまいました
30歳代の看護師さんは、お仕事の出来る、真面目な人だったし、これからも研究をする機会があるので、その人にやり方も覚えて行ってほしかったのですが、50歳代の一人の看護師さんが、とにかく張り切ってしまったのです
仕事で、スタッフが使えるかどうかの分類として、以下の順序がありますよね
・やる気があって能力のある人
・やる気はないけど能力のある人
・やる気も能力もない人
・やる気はあって能力のない人
研究も同じです。メンバーの中にやる気のある能力のない人がいるととても大変
30歳代の看護師さんは仕事も出来て、黙々とお仕事されるので、常に仕事が忙しいし、50歳代の人を押しのけてまで研究を進めることができません
50歳代の人は、やる気満々なので、仕事を人に押し付けてでも研究に没頭します
そして一人で書き上げた、「これは苦労話か?感想文か?チラシの裏に書いておけ」状態のものをせっせと私に持って来ます
・必ずグループで内容の確認をし合ってから私のところに持って来てほしいこと
・主研究者を中心に進めること
を、その都度説明しました
結局、その看護師さんがどうあってもスタンドプレーで感想文を書き続けるので、どうしようもなく、グループでまとめたものは主研究者と私が一緒に修正していく、という形をとって、定期的に時間をとって書いていくことにしました
50歳代の看護師さんは、だったら文章の入力、表の作成は自分が担当するので任せて!と、また恐ろしいことを言い出したのですが、そうなるともう、彼女とマンツーマンのパソコン教室状態です
しょっちゅう私のところにやって来ては、「文頭がそろわない」「行間を広くしたい」「ここに線を引きたい」「表はこの本に載っているように作りたい」などなど、ググる、ということをいくら説明してもできません
仕事中に電話がかかってきて、「ファイルって何ですか」「テキストって何ですか」「ふきだしってなんですか」と、多分、知らない世界が広がって楽しそうではあるのですが、町のPC教室に行って、お願い、PCで調べることを覚えて、お願い、と心から思っていました
そんなこんなで、論文としては仕上がり、昨年のうちに院内の発表は無事終えて、院外の発表の時の話です
また、この50歳代看護師さんが、発表は30歳代看護師さんがしてくれて、発表原稿も書いてくれるから、私がポスターを作ります、と言い出しました
いいかげん、私も面倒になっていたので、30歳代看護師さんに作り方も教えたいので、あなたは何もしないように、と伝えていたのですが、案の定、イラスト満載のパワーポイント50枚分くらいの壮大なポスター(?)を作ってきて、見てほしい、と持って来ました
それは無視して、主研究者さんには表作製ソフトを使ってポスターの作り方を教えていたのですが、なんと、50歳代看護師さんは、事務職員にやり方をひとつひとつ教えてもらいながらポスターを作ってきたのです
もう、なんというか、もう、ところ狭しとイラストが並んでいます
こういうヤツですね
もう、無関係に、ひたすら、並べる
中にはSAMPLEという文字が浮かんでいるのもあります
なぜ、救急車・・・?
なぜ、医者のイラスト?なぜ花?
なぜ、ここが赤字になっている?なぜここのフォントを変えた?
もう、それを基に後は私が修正しておく、とかできるものではありませんでした
それで
・イラストは一度すべて削除する
・とにかく読みやすく仕上げる
・字を詰め込まない
と伝え、ポイント数を細かく指定し、枠組みを作ってそれを基に作り直してもらいました
修正は5回くらいはしてもらったのですが、それでも、やはり、随所に歪みや不統一なところなど雑さが目立ち、実際使用できるものには仕上がらなかったので、お断りをしたうえで、主研究者と大幅に修正をして仕上げました
その結果、自分の作ったポスターが書き換えられた、元のカラフルなポスターを使いたかったというのでかなり怒っておられ、一時は挨拶もしてもらえませんでした
そのバイタリティとやる気があれば、ぜひパソコン教室に通って、スキルを高めることを期待したいです
人に教えるって、本当に大変なんですよ・・・
嫌いな人と上手くやっていく方法・実践
先日、嫌いな人と上手くやってく方法、というタイトルでブログを書きました
意地悪な看護師さんに、ささいなことでクレームいれられたよ、でも明日電話でクレーム対応するんだ!
と書いたのですが、翌日になると、けっこう嫌だった気持ちも薄れ、認知行動療法的に言うと
「怒り70%、うんざり10%、落ち込み10%、自己嫌悪10%」
くらいの気持ちが
「うんざり50%、落ち込み30%、どうでもいいや20%」
くらいの割合になってました
たいして良くもなってませんが(笑)
さて、「どうでもいいや」が20%となってしまって、電話するのも
「どうでもいいや」
というかんじですが、ここで放置すると、次がやっかいです
意地悪な人というのは、たいがい根に持つタイプです
次に会った時に面倒くさくなります
関係をこのままにしておくと、さらなるクレームが来ないとも限りません
このまま知らん顔しておこうか、と思う気持ちを奮い立たせて
「嫌な気持ちをさせてごめんなさい」
と言うために電話をします
1回目「今、電話に出られないそうです」と電話を受けたクラークさんに言われました
2回目 同上
もしかしたら、相手は私に嫌な思いをさせられた、と怒っているのかもしれません
まぁ、ここまで自分としては努力をしたのですから、自分をほめてやろう、ということで、働きかけ終了
やはり、電話でさらに嫌な思いをするかも、と思ってましたから、正直ほっとしたりもしています
そうすると、昨日、外来の廊下でその看護師さんとバッタリ会いました
あ、向こうから歩いてくる!と先に私が気づいたのですが、相手も私に気づくと表情が硬くなり、視線をはずします
一瞬、このままお互い知らん顔して今後無視、というのにしようか、という考えが頭によぎりましたが、いやいやいやいや、もっと面倒になる
よし!
「〇〇さん、この間はごめんなさいね(;´Д`)
嫌な思いさせましたね(;´Д`)
申し訳なかったです('Д')
もっとよく考えてやればよかったのに、ごめんなさい(;´Д`)」
会って謝れてうれしい、くらいのオーラを出し、その人の前に走って行って、ボディタッチまでしちゃいます
その人も、ちょっと驚きつつ
「いいの、いいの、いいの
なんか、ややこしいことになってて、
私のほうから伝えるようにって上から言われて、メールしたんだけど
周りに振り回されて大変だったー」
と笑顔で応えてくれました
ややこしいことにしたのはアナタじゃありませんの
あれは伝えるメールじゃなくて、めっちゃ嫌味全開でしたよ
私も笑顔の下で、そう思ってましたが、うーん、これって、狸同士のいやらしい駆け引きというか、お互い腹の中では別のことを思いながら上手く立ち回るオトナな関係?とか考えていました
そして、やっぱり、嫌いな相手にでも笑顔で謝られたり、フレンドリーにされると悪い気持ちのする人はいないんだなぁと実感しました
さぁ、これで、当分はクレームは来ないでしょうし、意地悪も畳みかけられることはないように思います
来月、この看護師さんと一緒に研修会を担当することになっているので、今後打ち合わせをする機会もあります
「研修会、もうすぐだね、よろしくね(^-^)
出来ることあったら準備しとくのでまた教えてね(^-^)
勉強させてもらいます(^^)/」
とご挨拶して、笑顔で別れました
嫌な気持ちを引きずることもなく、そのうえ、大人な対応ができた自分を褒めることもできます
次に会ったときも、スムーズに仕事ができそうです
若い時にはコレが出来なかったんですよね
やっと最近、出来るようになりました
生きるのが楽になります
息子がうつになりまして⑤
息子が実家に戻って、10日が過ぎました
買い物や料理、洗濯、掃除、すべての家事を引き受けてくれています
ちょっと、私、楽を覚えてしまいそう・・・
うつじゃないなぁ、適応障害だったんだなぁと思ってます
相変わらず眠れない、夜中に何度も目が覚める、と言って、ぼーっと猫と遊んではいますが、大丈夫そうです
料理やお菓子作りが趣味なのに、残業や休日出勤が続いていて、このところ全く料理が出来なかった反動なのか、今は、家族のために毎日夕食を作り、2日に一回はお菓子を焼いています
紅茶のシフォン
やや失敗
ちょっと落ち込んでました
これは先日も載せたりんごのパウンドケーキ
冷蔵庫に期限が切れそうなクリームチーズがあったそうで、ベイクドチーズ
りんごのキャラメル焼きも
ベイクドチーズの土台が前回もろくなってしまったのでリベンジ
息子はゲームとラノベを読むのが趣味のインドア、引きこもり体質ですが、料理も趣味と言えるんだなぁ、こんな趣味があって良かったなぁと思います
落ち込んでいる時に、人に喜んでもらえる趣味、役に立てる趣味を持っているというのは、立ち直るのにとても役に立つように思えます
うちのお嬢たちが、適材適所というなら、この人に向いているのは専業主夫じゃないか、と言っていました
息子も
「なれるもんならなりたい」
と言ってます
そういう人が見つかるといいなぁと真剣に思う今日この頃・・・
長男ですが、養子にだってなんだって出しますよ
休日のランチに私と娘のために作ってくれたオムライス
美味しいです
嫌いな人と上手くやっていく方法
かれこれ10時間くらいは、いやーーーな気持ちが続いています
私が、
「この人、本当に意地悪な人だなぁ」
と思う看護師から、また今日もいやーーーなかんじの社内メールが届いたからです
この人は、多分、自分が尊重されない、ということにとても敏感な人で、地雷を踏まないようには常々気を付けているのですが、今日も、え?これが気に障ったの?!と思うことでクレームをいれてきました
先週あった会議での私の発言が気に入らなかったらしく、とっても面倒くさい、回りくどい、非難メールが届いたわけです
もう、うんざり、またかよ・・・という嫌悪感・・・
「本当に意地悪なんですね」
とか
「どっちでもいいことでいつも怒って大変ですね」
とか
「自分中心じゃないと気が済まない人っていますもんね」
とか、私も社内メールで返そうか、と本気で思ってしまいました(。-`ω-)
メールしようかどうしようか・・・
「それってそんなに怒ること?」って出せばいいのかな
とか
「どう考えても、そういう意見もあるのねって聞き流せばいいことじゃない?」
とかにすれば、私がウザイって思ってることが伝わるかな
とか
どうすれば私が味わった嫌な気分を相手に返せるかをしばらく考えていました
本当、大人げないんです
でも、そんなメールを出さないことは自分が一番よくわかってます
「意地悪な人」というのは、例え正論で論破されたにしても、自分の意地悪を反省することはありません
長年をかけて意地悪を培って、完成させてしまっているので、大概なことがあっても意地悪なままです
意地悪を指摘されたり非難されると逆恨みするだけです
私は誰とでも仲良くしたい、と思ってないし、話せば解る、とか全然思ってないし、絶対に好きにならないタイプの人というのは山のようにいます
この何かにつけて文句を言い、嫌味を言い、攻撃をしてくる看護師が大嫌いです
けれども、大嫌いオーラを出してしまうと、さらに相手からの攻撃オーラも大きくなります
接点のない相手なら放っておいても良いのですが、今後も時々でも会うことのある相手なら、最低限は普通の関係を保っておかないと仕事がやりにくく、会うたびに面倒くさい思いをします
全くしゃべらない、ニコリともしない二人がいたら、周囲の人間にとっていい迷惑です
相手のためではなく、自分のために面倒な思いを避けたいので、相手の怒りを鎮めるように働きかける努力をします
今回のような場合は、メールで返事をしてはいけません
うまくやっていきたいオーラを感じさせられないからです
直接会いに行くと、相手は他のスタッフの前だと虚勢を張って嫌味を言い出すかもしれません
そうすると、元々、悪人はオマエだ、という気持ちしかないので、自分がキレてしまうおそれがあります
こういう時は電話一択です
電話のセリフはこれです
「なんかごめんねぇ(;´Д`)
嫌な思いさせたみたいで(;´Д`)
私、気が付かなくて、いいと思ってやったんだけどごめんなさいね(;´Д`)
またこれからも色々教えてね(^^)/」
明日、私はこのセリフでこんな表現でこの人に話しかけるつもりでいます
これは、自分が悪いとは思ってないので悪いとは言ってませんし、自分のしたことを謝ってもいません
そうです、クレーム対応の時のセリフです
相手は文句を言いたいだけなのですから、この対応が正解だと思ってます
そして、嫌いな人からでも、謝られたり、笑顔で接して来られて嫌な人はいません
嫌いな人と上手くやっていく方法は、相手に好かれようと思わないこと、無駄な努力をしないこと、あくまで普通の関係を目指すことだと思っています
親を看取るということ 父の看取り
私の父は50歳代で亡くなりました
肺癌でしたが、癌だとわかった時には転移していて、癌の診断から亡くなるまで3か月でした
癌診断の3か月前に会社の健康診断で異常なしでしたから、急激に進行したのだと思います
実家は地方都市にあって、私を含め子供たちは県外で働いていましたので、両親は二人暮らしをしていました
私はその頃東京の大学病院に勤めていて、希望していたCCUを有する循環器内科に配属になって、忙しいけれど仕事にやりがいを感じていました
「お父さんが病院を受診したら、家族の方だけで病状説明を聞きに来てほしいって電話があったんだけど、癌とかだったらどうしよう、一緒に話を聞きにいって」
と母親から電話があったので、お休みをとって帰郷しました
父親は「体のだるさがとれない、肩こりがひどくて痛い」というので、実家から自転車で15分くらいの市立病院を受診していました
病状説明時に主治医には、看護師をしています、と伝えると、画像をふくめ検査結果を見せながら詳しい説明をしてくれました
肺癌です、と最初に言われましたが、胸部の単純写真を見た瞬間に、これは治療のしようがないな、とわかるほどで、癌は両肺で、溶骨性の骨転移も複数個所にありましたし、胸水もありました
ステージⅣで、手術、放射線は適応外、抗がん剤も副作用のほうが心配だが、使用するかどうか本人しだい、使用する、しないにしても余命3か月程度ではないかという説明でした
今度は私も同席して父への病状説明をしてもらおうと思ったのですが、母が病名の告知に反対をしました
父は内面はとても弱い人間で、癌だと知ると自暴自棄になるのではないか、そうなった場合、自分は看病する自信がない、余命3か月というなら癌だと知らせないでほしい、というものでした
けれども、私は癌の専門病院もしくは自分の勤める大学病院に父を転院させたいと考えていたし、病状説明を聞いた後ではホスピスか緩和ケア病棟も選択肢として考えたほうが良いと思ったので、父親が自分の病気を知って治療方法を選択してほしかったし、病名を知ることは父の権利だと母に説明をしました
けれども母親は、二人暮らしで、父の世話をするのは自分一人なのだから、癌でこれからどんどん状態の悪くなる父が助からないと説明されると、自分一人で支える自信がない、あまりに父がかわいそうだ、と言って病名告知には強く反対しました
折衷案として、まずは入院する時には癌と知らせないけれども、治療継続しているうちに知らせた方がいいと思ったときには、知らせよう、ということにしました
父には肺の感染症ということにして入院し、詳しい検査をしていきました
癌の進行は早く、胸水の貯留による呼吸苦もでてきたため、定期的に胸水を抜き、胸水の増加を抑えるために抗がん剤の胸腔内への投与をしましたが、その副作用に苦しみました
癌性胸膜炎によるものですから、出てくる胸水は本当に血の色で、父親は
「こんなに血を抜いて大丈夫なんだろうか」
と心配してましたが、
「悪い血だから大丈夫だよ」
などと言うと、ふーん、というかんじでした
癌であることを知らないために、転院をすすめても、
「そんな大げさな」
「時間をかけたら治るんだったらこの病院でいい」
と言って、乗り気ではありませんでした
実家までは新幹線を含め5時間の距離だったので、私は連休があると帰郷して病院にお見舞いに行ってましたが、今後治療が長引いた場合、いつまで仕事が続けられるか考え始めました
入院から2か月たって、脳転移から、たまに異常行動が見られるようになって、病院から母親に夜間の付き添いを打診されたときに、母親一人ではもう無理だと判断して、仕事を辞めて実家に戻りました
理解のある職場だったので、すぐ有給で休みをもらえて、月末に退職できたので助かりました
その頃父は病院食は美味しくないと言って食べなくなり、3食母親が食事を作って持って行っていました
夜間は私が病院に泊り、母が朝に3食分の食事を作って、それを持って病院に来てから私が家に帰り、夕食後に私が病院に来て、母が家に帰る、という毎日でした
脳転移のせいもあったのかもしれませんが、後で思うと睡眠導入剤のせいでせん妄状態になる時もあったのではないかと感じます
夜間起き出して、ちょっと変なことを言い出して動き出すことがあり、そういうときは車椅子に乗せて病院内を散歩していました
自室内は歩いていましたが、少し歩くと呼吸苦がありました
「ここはどこなんだろう」
「お母さんはどこに行ったんだろう」
「どうして暗いんだろう」
と不思議がったり困ったりしていました
気性が激しくて頑固で我が儘なところある人でしたが、入院してからはそんなこともなく、せん妄状態になっても穏やかなので、私がのんびり話し相手になっていると、それで落ち着くことが多かったので、そんなに大変ではありませんでした
病院に泊るようになる頃から、ホスピスを探し始め、何か所か見学に行き始めました
病名告知をされてない父がホスピスに入ってどうなるか心配でしたが、主治医が緩和ケアに積極的でないことや、交代で付き添いすることに限界がくるのは目に見えてたので、住居に近い形のホスピスを探し、転院することにしました
転院について父は「知らないところに行きたくない」と反対しましたが、肺の病気なので空気の良いところに転地が必要だと兄弟で説得し、ホスピスの空室待ちとなりました
ホスピスから転入可能、との連絡があったので、私は一度荷物を取りに日帰りで東京に戻ることにして、早朝に上京しましたが、着いてすぐに、「呼吸が苦しいと言ってじっとしていない、立ったり座ったりを繰り返して、息が吸えないと言っているから早く戻ってきてほしい」と母から電話があったので、すぐ駅に戻りました
駅で主治医に電話して、「苦痛を取ってあげてほしい、セデーションをかけてあげてほしい」と伝えましたが、主治医は血圧低下や、会話ができなくなることを心配していました・・・とにかく本人の苦痛を一番に考えてほしいことや延命は希望しないことははっきりと伝えていたのに、何を言ってるんだ、今頃?という気持ちでした
母が私に戻るように電話した直後から、父の意識が朦朧とし始めたそうで、夜に病室に戻った時には、もう父の意識はなく、浅い促迫した呼吸で、モニター上心拍数も低下していました
昇圧剤の使用も希望しなかったので、そのまま自然に呼吸も心拍も血圧も低下していき、その日のうちに父は亡くなりました
病棟内に急変した患者さんがいて、看護師さんがバタバタとしていたので、お湯だけもらって、母と一緒に体を拭いて着替えをさせました
これ以上付き添いが長くなると、母も私も疲弊していましたし、私達が付き添えないことで、父が身体拘束を受けることの可能性を考えることも辛かったですし、呼吸苦などで長く苦しむのも、本人も家族も辛かったでしょうから、父の死はこれで良かったと思っています
先に亡くなったのが母でなくて父であったので、父は幸せだったと思います
看護師さんはお取り寄せがお好き
今の時期、大量にチョコレートの通販カタログが職場の休憩室に置かれ、続々と購入されたモノが届きます
今の時期だけではなくて、ちょくちょく、日本中の有名どころのお菓子の通販のカタログが置かれていて、誰かが買ってますから、皆さん、すごいなぁ
うちは、たいていのお菓子は手作りしてしまいますから、通販で買うことはまずないですが、さすがにチョコレートは作れないので、この時期は美味しそうなのがあるとプレゼント用に買うことがあります
うちの病院でこの時期人気のチョコレートはやっぱ、ロイズですかねぇ
生チョコで職場の冷蔵庫が埋め尽くされてたりします
うちはベリー好きで、少しずつ食べられるコレ人気です
違うものをチマチマ食べたいので、これも好き
ロイズと並んで人気のあるのが、パッケージの可愛さとホワイトチョコのおいしさで六花亭ですね(*'ω'*)
これは本当に美味しいと思うの
ドライフルーツ×チョコの組み合わせが好きなんで、こたえられません
これですよ、これ(*‘∀‘)
うちの高校生のお嬢は、バイト代は使い切らなくてはいけないと思い込んでいるので、毎年バレンタインにはデパートの特設売り場で散財してきます
家族のぶんに買って来てくれました
友チョコにあげるぶんを合わせると、1万円近くチョコを買ったそうです
看護師さんたちも、だいたい5千円から2万円分くらいのチョコレート買ってたから、似たようなものですね
お嬢の買ったゴディバのチョコ
うーん、一粒200円かぁ・・・
だったら明治の板チョコの
看護研究指導 指導できなかったグループ
以前も書いたのですが、今年度看護研究の指導を担当しているグループで、ひとつだけ途中で関わらなくなってしまったグループがありました
計画書の中で、言葉の定義がきちんとされていなかったので、何をしたいのかがはっきりせず、量的な研究をしたい、というけれども、その目的のためには量的な研究は適さず、当初から難航しそうな雰囲気のあるグループでした
量的な研究をしたいがために、研究の目的や研究対象を変えてくるのですが、それでも、やはり量では無理な研究内容で計画書を出してくる、の繰り返しで、計画書がなかなか出来上がりませんでした
最初の目的に立ち返り、そのためその目的に合わせて質的研究をすることになったのですが、言葉の定義をしないままなので、何を明らかにしたいのかがさっぱりわからないまま進んでいってしまいました
とてもおとなしくて、話すと緊張するタイプの若い看護師が初めての研究だけど主研究者で、他はとてもマイペースな不思議ちゃんの先輩が2人、共同研究者でした
助言したり、修正を指示したりしても、次も修正せずに全く同じ状態で先に進んだものを提出してくるし、理解してるのだかできないのだか、全くわからない人たちでした
そして計画書を書いて見せに来るように伝えても来ません
「定期的に出せないようなら、病棟の担当者や上司の方々が指導して完成させてください、出来上がったものをイチから直せません」
と、メールを出しても返事が来ない・・・
そのうちに、病棟の担当者から
「結果として出したカテゴリーだけ正しいか見てやってほしい」
と言ってきたのですが、すでにタイトル、背景、目的も出来上がり、それら自体に一貫性がないものの結果を見たところでどうしようもないので、病棟で仕上げてもらうように伝えました
結局は、その病棟の師長や教育担当の看護師が一緒に査読してほしい、とのことで、院内の研究指導者の勉強会も兼ねて、2時間くらいかけて、修正が必要な個所や、どのように修正したらよいかを挙げていきました
それを参考に、病棟で論文の修正を行い、完成させてもらいました
先週、用事があってその病棟を通りかかった時に、主研究者の若い看護師さんが走って来て、
「研究の途中で見てもらいに行かなくてすみませんでした!
キリの良いところまで仕上げてからにしようと思ってるうちに、どんどん遅くなって、結局最後まで仕上げてしまって・・・」
「でも、最後に指導者さんが見てくださったんで、師長さんとか皆さんに手伝ってもらって修正することができました、ありがとうございました!」
と言ってくれました
なんて、可愛らしいんでしょう( ;∀;)
もっと私ができることがあったんじゃないか、と反省してしまいました
もしかしたら、
「出さなかったことを指導者さんに謝っておきなさい」
と言われたのかもしれません
最後修正するには、多分かなり時間がかかって、締め切りもあったし大変だったと思います
「どうして指導者にその都度見せに行かなかったのか」と叱られたのかもしれません
自分たちで研究目的を決めて、その結果が出せたのだから、それでOKなこと、ただ、最初から一緒に相談しながら仕上げるほうが大変な思いをしないですむことや、最後に大きな修正をしなくてすむことを伝えました
彼女が研究に対してネガティブな思いを抱かなければよいな、と心から願います
看護研究って本来は充実感や達成感を味わえて、良い経験になるものなのですから
上の写真は、これも以前書いていた、研究グループからいったんもらった論文に、私が指摘やアドバイスをしているものです
これは、指導できなかったグループではなく、せっせと論文の修正をしては持って来てくれるやりやすいグループのものです
まだ「はじめに」と「研究方法」を書いている段階ですので、4回目くらいのやりとりのものです
ここさえしっかりしておけば、後はあまりズレていかないので、ここはかなり時間をかけて仕上げてもらいます
本来なら研究計画書をしっかり書けば「はじめに」も「研究方法」もそんなに時間のかかるところではないのですが、、みなさん、それを仕上げる前にどうしてもこちらを書き始めてしまうんですよね
計画書にこだわるとモチベーションが保てないようなので、論文として書き始めたなら、それはそれで、論文形式のものを使って修正していきます
なかなか進まないグループがありましたが、途中でそのグループの私よりもベテランの責任者に、
「私たちの助言が必要なら区切りごとに見せて下さい、出来上がったものを直すことはお互いに大変です。とお願いしました。
それでも、全く連絡がないままだったのですが、先日、その責任者の方から、「カテゴライズが合ってるかどうか、結果だけみてあげてくれる?」と軽くお願いされてしまいました
研究背景も無視し、研究方法もムシして結果だけをみろと( ゚Д゚)
それにどんな意味があるのでしょう
ということで、それは病棟の方々で仕上げていただくことにしました