生きやすさに影響する性格
末娘が2年続けたアルバイトをやめて、新しいアルバイトを始めました
「新しいところ、どう?」
って尋ねると
「仕事は忙しいしハード。疲れる。
でも、最初って、どこも大変だよね、慣れるまで。
どこだって一緒だよ、きっと」
と、大人な発言をしてました。
今日は珍しく、姉娘と末娘と私の3人でお茶を飲んで、ゆっくりしゃべる時間があったので、世間話しをしていました。
生活する時間が違うので、3人でしゃべるのは久しぶりです。
姉娘はこの春就職し、実家から会社に通ってます。
まだ新人研修を受けているところですが、今週は業務説明の一環で、品質管理部門の研修があり、製品を選別する、不良個所を見つける、というような説明を受けたそうです。
「でも、どこが悪いか私にはさっぱりわからないくてさ、説明されても違いがわかんないし、他の人たちはみんなわかってるらしいけど、私だけわかんなくてさー、やばいわー」
と言ってました。
すべてにおいて、おおらか、気にしない、気が付かないという性格が、製品の不具合を見つける、という点においても発揮されるのか、と思って驚きました。
そんな性格なので、就職しても特に仕事や人間関係に不満もなく、しんどいとも思わず、気を張ってるわけでもなく、ゆるーっと環境に馴染んでいます
「なんか、一人お局様みたいな人がいるらしくて、みんな、言い方がきつくて嫌だって言ってるけど、どの人のことかわからない」
とか
「説明会で会社の偉い人が言ったことを、新人の子たちが、あれはパワハラだって騒いでたけど、何のことかわからなかった」
とか、ネジが外れた発言をしています。
これは周囲をイラっとさせることはあるかとは思うけど、コミュニケーション能力の高さ以外で、人間関係をうまく構築していく能力なのではないかと思います。
毎日、帰宅してから何種類も研修のレポートを書き、自主学習、命令された資格取得のための受験勉強、と、かなり見ているとハードなのですが、それに対しても不満を言うわけではなく、のんびり黙々とリビングのこたつで片付けています。
そして、研修中に眠くなると困るので、と7時間睡眠をとってます。
家ではご飯食べてお風呂入ってお勉強したらもう寝る時間ですが、それも特に嫌とも思っていないようです。
そういうところが、この人の生きやすさに影響しているのだなぁと感じます。
姉娘は色々なことに対して、全然気がつかないタイプですが、末娘は違います。
「あいつ、ウザイ」
「こいつ、クソだわ」としょっちゅう言ってます
「ブスのくせに」「デブ黙れ」とか、テレビを見たり、道を一緒に歩いてても、そんなことばっかり言ってます
「私のほうが100倍かわいい」
「私の彼氏のほうがずっとイケメン」
比べては、あーだ、こーだと言ってます
「アナタみたいに、人の悪いところばっかり目についてたら、しんどくない?」
と、今日もその話をしてました
「仕方がないじゃない、目に入るんだし、そう思うんだもん」
「でも、アナタ、すべてにおいてマウンティングしてたら、それも大変でしょう」
「大丈夫、マウンティングしても、すべてにおいて私が勝つから。
いい気分にしかならない。
頭がいいとか、そんなもんには興味がないから、私が価値があると思うもので勝てればいい。」
これが「自分を持っている」ってことなんでしょうか・・・
ある意味、この人の生きやすさは、自分で物事の価値を決められることなんだと思います。
人にとって、生きやすい性格というのは、基準になるものが違うんだな、と感じました。
ちなみに、私は彼女たちと同じ20歳前後の頃は文学少女だったこともあって、
「人間はどう生きるべきか」
とか
「人間にとっての幸せとは何か」
とか、けっこう禅問答のような、哲学のようなことばっかり考えて、生きているのがしんどかったです。
私の場合は、生きやすくなったのは、年をとっていくに従って、自分の限界とか人間の限界とか身をもって思い知るようになったからのように思います。
太宰とか、芥川とか、若い頃には真剣に読んで感動して共感してたけど、その人たちの年齢を越える頃から、読み返すたびに、
あれ?
と思うようになって、40過ぎて読むと、
「若いなぁ、この人たち・・・青いなぁ・・・」
とか思うようになってしまいました。
継続は力なり
生きていくことを続けることも、自分の持つ力のひとつですね